嬉しい大阪万博2025の決定。重ねて人生の目標について

 

昨夜11月24日の深夜、大阪/関西万博2025開催がパリにて決定しました。

シンガポールの自宅でずっとユーチューブ観てたんやけど、決定の瞬間は嬉しかった。で、すとんと膝の力が抜けたというか。

 

なんやかんやでずーっと応援してはきたけど (招致に貢献したのかは微妙なドネーション動画 https://youtu.be/ssYxo1NjV9g

 

大阪都構想がこけてからというもの…無力感も感じてはいたので、まだ実感がわいてこない感じで、このブログを書いてます。

 

 

****

僕は23歳の、関西学院卒業半年前の大学5回生の秋に上京して以来、故郷大阪において仕事はなく、NIKKOの頃も大阪の御得意先をつくるのは乗り気になれず、支社も作らずじまいでした。

 

シンガポールに移ってからは…突然の2013年、強すぎる大阪への思い入れが、映画『Fly Me to Minami 恋するミナミ』の製作というカタチになりましたが、

かたや何度となく大阪のスタートアップ参画の機会はあったものの、むしろ他の地方や東京のベンチャーよりも厳しい眼でみてしまったこともあって、参画が実現した会社はありませんでした。齢28からは年に一、二度は、大阪に帰るようにしてきたけれど、それはもっぱら両親に顔を見せるためでありました。

 

そんな僕は

昨年4月、大阪市此花区にて鋼材加工を祖業とする家業を20年にわたり営んできた実弟を喪い、その経営を継いで以来、大阪そのものや家業承継について真剣に向き合うことになったことで、おおきく心境を変えることになりました。

 

で、先月のブログ http://katou.jp/?eid=630 にも表明しましたが、僕は2020年夏からは弟から引き継いだ家業の経営に傾注することを決めました。

再来年2020年から2032年(65歳までの壮年期)の【ベンチャー型家業承継で、世界一挑戦イヤーズ】を迎えるにあたって、この万博開催は、大阪にとっても僕にとっても非常に大きなイベントになります。

 

前後して同じ夢洲を舞台として、シンガポールをお手本にカジノが軸となったIntegrated Resortも立ち上がるでしょう。夢洲を核とした大阪湾の開発は未曾有の規模で一気に進むことでしょう。そして中国、東南アジアの富裕層を中心に、今まで以上に大阪に、日本に、多くの訪日観光客が訪れることは間違いない、と確信します。

 

参考までに、興味深いイクラ氏のブログをご紹介しておきます。

■ 2025年に大阪万博が開かれる夢洲はシンガポールになるのか https://iqra-channel.com/yumeshima-singapore

 

改めて、大阪/関西万博2025の誘致活動に関わった皆さま、おめでとうございます。ふつうに手が届きそうで、これがなかなかしっかり努力が必要な歳月。ちょうどええな、と感じます。前を向いて、胸を張って、その時を共に迎えたい!と思てます。

 

 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

壮年期はベンチャー型家業承継に挑むと決めました。

 

現在の参画先への集中、新規の投資参画の停止、と家業への傾注 をこの場で書かせて貰ってから http://katou.jp/?eid=622 4ヶ月超が経ったわけですが、そのあたりの覚悟の腹が固まりました。

 

2015年5月そして2016年10月 http://katou.jp/?eid=552 にこのブログにも記したように

 

 

1967〜1985 ◆18歳までの少年期 (生まれてから高校卒業までの子どもイヤーズ)

1986〜1995 ◆28歳までの青春期 (リョーマ→Qネット→日広草創期の青春時代)

1996〜2007 ◆41歳までの青年期 (日広=NIKKOで、ネット広告に熱中イヤーズ)

2008〜2020 ◆53歳までの中年期 (シンガポールでウミガメ創りに挑戦イヤーズ)

 

と期限を決めて、はや数年・・・


(以降の生活拠点はまだ決めてはいませんが) 2020年6月からほぼ掛かりっきりで取り組むことを決めました。

ずばり!家業をベンチャー型で事業承継して、世界一を目指すイヤーズ とします。期限は2032年です。

2020〜2032 ◆65歳までの壮年期 (ベンチャー型家業承継で世界一挑戦イヤーズ)

 

すなわち僕の現役としての『アジアのウミガメ』の仕込みは2018年で打ち止めです。

(5月にもう止めると決めてから、DOUそしてレインボースマイルと、スタートアップに混ざるのが始まってますけれど。笑)

 

 

 

*******************

 

昨2017年4月、家業をしっかりと継いでくれていた実弟を事故で喪いました。これは僕にとってはたいへんな衝撃で、それ以来というものずっと眠れなくなってしまいました。

情けないですが、今も後遺症というか、睡眠導入剤がないと、床に着けません。

 

僕は大学5回生、23歳のときに、あとさきに起こることを深く考えきれないままに、代々続いていた家業を継ぐという自分の運命に抗い、当時のボスであった真田哲弥さん、西山裕之さんが東京で起こしたダイヤルキューネットワークに参加すべく、上京しました。そして同社に父親から500万円出資までしてもらいました。

 

かたや…僕がプイっと東京に出ていったことがきっかけで、京都大学工学部の学生だった弟が経済学部に転部し、家業を継ぐ覚悟をしていました。これはまったく想定外のことでした。しかも僕はその転部の事実も家業承継の決意も、その後27歳になるまで4年半も気づかなかったんです。僕にヘンな気を使わせたくなかった弟の配慮でした。

 

 

 

■ 投資家インタビュー 加藤順彦 長越

http://nagakoshi.co.jp/contents/reports/interview010_2.html

 

 

しかし…僕の所為で彼の人生を変えてしまったのではないか、という呵責があります。

 

僕に比して社交的でも営業肌でもない弟が、右肩下がりの関西で、ベタベタの鋼材商社(特約店)、形鋼の加工を継いでやっていくのはほんとうに大変だったと思うのです。

 

昨2017年5月8日、僕は喪なった弟の後任として、家業の代表取締役に就きました。

そして、それまでの70年におよぶ創業から足元までに至る轍を、月日をかけ、初めて理解把握整理しました。以来、家業を如何にして次代に繋いでいくのか、が生きていく最大の課題の一つになりました。

 

そんななかで2018年2月、岡山のウミガメに聴講いただいた方との結びつきが、、、4月に雷に打たれたが如く新事業アイデアへと繋がりました。

それから半年間かけて、自分のなかで繰り返し、アイデアを反芻しながら、覚悟を固めてきました。

 

2008年6月を最後に、16年務めた日広→NIKKO(現GMO NIKKO)のトップを降りて…10年が経ちました。2020年6月から再び専従することになると、12年ものギャップをあけることになります。

 

が、

やりきる!!!と決めた以上、65歳までは生き抜きたいです。がんばるでしかし、正味のはなし。

 

 

 

 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)
<< 2018年12月 >>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
PROFILE
LINKS
CATEGORIES
Now Recomend!
ARCHIVES
SYSTEMS

 RSSリーダーで購読する

I heart FeedBurner